©あずまきよひこ/KADOKAWA
出典:『よつばと!』第13巻,86話より
一貫した「母」の不在
いつかこういう人になれたらいいな、と思う憧れの人がいる。
『よつばと!』の「ばーちゃん」だ。
ばーちゃんは、なんでも知っている。鳥の名前も、折り紙の折り方も、雲の種類も。
料理が上手で、手先が器用。働き者で、好奇心旺盛。
厳しいけれど、愛情深い。生活を慈しみ、楽しんでいる。
『よつばと!』を読むたび、こういう人になりたいなと思う。
『よつばと!』第1巻表紙
主人公の小岩井よつばは五歳の女の子で、小岩井葉介(とーちゃん)と二人暮らし。
『よつばと!』は、天真爛漫で物怖じしないよつばが、いろんな人と仲良くなり、いろんな場所で遊びながら成長していく話だ。
物語は、小岩井父子が一軒家に引っ越すところから始まる。
二人は以前、「おばーちゃんちにいて」「その前は島にいた」らしい。よつばはよく初対面の人に「外国人?」と聞かれるので、日本人とは異なる容姿のようだ。ただ、どこの国出身かはわからない。
葉介は「俺が外国でひろってしまって なんだかわからないうちに 育てることになった」と言っていた。
つまり、よつばには母がいない。本当の父もわからない。
でも、今のところよつばはそれをまったく気にしていなさそうだし、「とーちゃん」と一緒に毎日楽しそうに過ごしている。
そういう意味で『よつばと!』は、「母」の不在を描いた漫画でもある。
よつばを叱ってくれる人
第2巻,11話より
「母」の不在について、登場人物たちが言及することはほとんどないが、この要素は『よつばと!』内でそれとなく表現されている。
いつも散らかっている部屋、溜まっている洗い物、少しジャンクな食事。
よつばの生活からは、男手一つで子育てしている葉介の多忙さがなんとなく伝わってくる。
ただ、そこに悲壮感や疲労感はない。いつもどこか楽しそうだ。そもそもの葉介の性格がゆるい(寛容?)のもあるだろう。
第9巻,60話より
あとは、葉介以外の人たちがよつばを見守ってくれているのも大きい。
よつばは保育園にも幼稚園にも通っていないので、毎日のように一人でどこかへ出かけるのだが、行く先々でいろんな人に見守られている。隣に住む綾瀬家の人々、葉介の友人たち、自転車屋やうどん屋のおっちゃん……。
ただ、よつばをしっかり叱る存在はいない。
みんな、よつばがトラブルを起こそうが、非常識な振る舞いをしようが、困ったり笑ったりはしても叱りはしない。叱るのは、もっぱらとーちゃんである葉介の役割だ。
それこそが『よつばと!』の豊かな世界観を形作っているのだが、私には少し寂しく感じる。
よつばを本気で叱る人がいない一番の理由は、よつばが「よその子」だからだろう。
距離感の近い綾瀬家のお母さんだって、自分の娘たちとよつばでは接し方が違う。それは当然のことなのだが、なんだか寂しい。
個人的な話をすると、私自身もシングルの家庭で育った。
母子家庭だったのだが、母はスナックを経営していたので夜は家にいなかったし、いつも仕事で疲れ果てていた。そんな私の面倒を、近所のおじさん、おばさんたちが見てくれた。
みんな優しかったけれど、やはりどこか「よその子」扱いだった。
本気で叱ってくれる人がいない。躾けてくれる身内がいない。
そんな自分を、どこかよつばに重ねて読んでいたのだろう。
だけど、13巻でばーちゃんが登場した。かつて一緒に暮らしていた、よつばの身内。
ようやく、よつばを叱る人間がとーちゃん以外に現れた。私はホッとしつつ、羨ましかった。
「ばーちゃんがいないと とりのなまえがわからない」
第13巻,86話より
ばーちゃんが初めてよつばの家を訪れた際、ばーちゃんは玄関で「こら! よつば!」と叱った。
「靴脱ぎちらかしたらあかん! ちゃんとしぃ!」
よつばはこの時「そうだった ついだった」とハッとする。ばーちゃんの家では、ちゃんと靴を揃えていたのだろう。
よつばがとーちゃん以外に叱られるシーンはこれが初めてだったので、よつばの新たな側面を見た気がした。
ただ、ばーちゃんは叱るだけではない。褒めるのもとても上手だ。
靴を揃えたら「えらい」と言うし、よつばが歓迎の飾りをつけたら「よつばはやさしいな」と頭を撫でる。
また、ばーちゃんは物事を教えるのもうまい。
掃除の仕方、習慣の大切さ。鳥の名前や、パンの作り方。
よつばは、そんなばーちゃんを尊敬している。誰に褒められるよりも、ばーちゃんに褒められる時が一番嬉しそうだ。
第13巻,87話より
だけど、すぐにばーちゃんが帰る日がやってきてしまう。よつばはばーちゃんも「ここにずっとすむ」と思い込んでいたので、必死になってばーちゃんが帰るのを止めようとする。
その時、よつばはこんなことを言った。
「よつばだって! ばーちゃんがいないと とりのなまえがわからないし おりがみもぐちゃぐちゃになるし くつもぬぎっぱなしになるし そうじもめんどくさい! やくそくやぶってとーちゃんにしかられるし!」
第13巻,89話より
私はここでグッときて、つい泣いてしまった。
よつばも、よつばなりにわかっているのだ。
自分がまだまだ子どもなこと。ばーちゃんがいないとだめなこと。本当は寂しいこと。
『よつばと!』の中で、このシーンほど「母」の不在を描いている場面はない。
ばーちゃんが来る時にはおみやげをとても楽しみにしていたのに、よつばは「おみやげなんかなくてもいい」と泣いた。その時のばーちゃんの表情に、ますます泣けて仕方なかった。
ばーちゃんだってよつばと一緒にいたいし、よつばのことが心配なのだ。
母の代わりはいないけれど
第13巻,89話より
ただ、ばーちゃんが「母」の代わりかというと、やっぱりそれも違うだろう。
ばーちゃんはばーちゃんだし、とーちゃんはとーちゃんだ。
よつばには「かーちゃん」はいない。
それは紛れもない事実だが、素敵なばーちゃんととーちゃんがいる。
私はそのことに、よかったね、と思う。
とーちゃんもばーちゃんもいて、よかったね。あなたの家族は、とても素敵だ。
第16巻,105話より
ばーちゃんが帰ったあと、二人はスマートフォンのテレビ通話で話すようになった。
こたつを出したこと、ツリーの飾り付けをしたこと、ランドセルを買うこと……そんなことを報告するたび、よつばはばーちゃんに褒められている。
羊雲を見た日、二人はこんなやりとりをした。
「ばーちゃんはいろんなことをおしえてくれる!」
「そうやで なんでも教えたるで」
そう言ってくれる存在がいるというのは、どんなに心強いことだろう。
彼女には、日々そばにいるかーちゃんはいないが、遠くから見守るばーちゃんがいる。
その距離感が、よつばの中に憧れを生み出している。
「あれはなんてとり?」
「ばーちゃんだったらわかるのに」
離れている時も、よつばは知らないものに出会うと、ばーちゃんのことを思い出す。
きっとよつばは大きくなったら、憧れのばーちゃんのように物知りになるのだろう。
そしてまた、よつばと同じような子どもだった私も、ばーちゃんに憧れているのだ。