恋敵といえば「志乃ちゃん」
©矢沢あい/集英社
出典:『天使なんかじゃない』完全版 第1巻,P314
少女漫画と言えば恋愛モノで、恋愛モノと言えば恋敵。
そして、恋敵と言えばかわいい女の子。
その代表的存在が、『天使なんかじゃない』の原田志乃だろう。
とんでもなくかわいくて、愛想も良くて、人気者。
だけど本当はひねくれていて、生意気でワガママ。
そんな裏表が激しいところも、まさに恋敵という感じだ。
私はこの作品を小学生の頃に読んでいたのだが(初めて買った単行本が『天ない』1巻だった)、志乃ちゃんのことが嫌いだった。
志乃ちゃんのライバルであるマミリン(主人公の親友)に感情移入して、「なんて嫌なやつ! がんばれマミリン!」と憤っていた。
きっと、同世代の読者のみんなも同じ気持ちだったのではないかと思う。
ただ、大人になってから読み返してみると、志乃ちゃんが魅力的なキャラクターであることに気がつく。彼女がこの作品の中で、大切なテーマを担っていることに。
人生経験は積むものだなぁとしみじみ思う。
大好きな人を「あんなやつ」と言う気持ち
『天使なんかじゃない』完全版 第1巻表紙
『天使なんかじゃない』は、出来立てホヤホヤの高校を舞台にしたラブストーリーだ。
主人公の冴島翠は明るい人気者で、第1期生徒会の副会長を務めている。
『天ない』は、そんな翠の恋愛模様をベースとしているのだが、翠の親友、麻宮裕子(通称・マミリン。生徒会では書記)の恋についても熱量高く描かれている。
お嬢様で、成績優秀。そっけないようだけど、実は不器用なだけ。
そんなマミリンは、爽やかで優しい男の子・瀧川くん(生徒会では会計)に、中学生の時から恋をしている。
第2巻,P231
マミリンは中2の時に、瀧川くんのかばんにバレンタインチョコを入れた。「好きです」と一言書いたラブレターを添えて。
だけどその後、瀧川くんは一学年下の志乃ちゃんと付き合い始める。瀧川くんはかっこよくてモテモテなのだ。
それでもマミリンは、瀧川くんのことを吹っ切れないでいた。切ない片思いの気持ちを抱えながらも、生徒会で瀧川くんと一緒に過ごせる日々を楽しんでいた。
第1巻,P339
ところが2年生に進級した4月、志乃ちゃんが1年生として入学してくる。
志乃ちゃんは当然、彼女として瀧川くんに接する。下の名前で呼んだり、帰りを待っていたり、親しげに袖を握ったり。
しかも、志乃ちゃんは瀧川くんと一緒にいたいからと、第二期生徒会長に就任するのだ(大人気!)。マミリンファンの読者としては、当然モヤモヤしてしまう。
志乃ちゃんにとっては、恋人と一緒の高校に行けて、生徒会にまで入れて、楽しい学園生活になるだろう。
それなのに志乃ちゃんは時々、陰で瀧川くんを悪く言う。
「かっこだけよ あんなやつ」とか、「ヒマつぶしにもなんないわ あんなやつ」とか。
当時はそんな志乃ちゃんが理解できず、腹が立つばかりだったけれど、今となってはそんな志乃ちゃんの気持ちがわかる気がする。
大好きな恋人を「あんなやつ」と言う気持ちが。
本音で接してくれる人がいなかった
第3巻,P141
志乃ちゃんには、友達がいない。
いつも一緒にいるマコちゃんは、志乃ちゃんのいとこだ。子どもの頃からよく遊んでいたのだろう。その他の子と一緒にいるシーンは、ほぼ描かれていない。
飛び抜けて容姿がいいと、良かれ悪かれ注目を集める。
勝手にイメージを作られて期待されることや、思わぬ好意を受けて困ること、嫉妬されることも多かったのではないか。
志乃ちゃんの裏表の激しさは、おそらくその「注目」から来ている。裏と表を作ることで、自分を守ってきたのだろう。だから唯一、裏の顔を知っているマコちゃんとだけ、安心して一緒にいられるのだ。
第1巻,P394
表と裏の顔が一致していない矛盾。
そのためだろうか、志乃ちゃんはこんなにかわいいのに、ずっと自信がない。「好きだ」と言われても信じられず、疑ってしまう。
その不安は、大好きな瀧川くんにこそ、一番多く向けられていた。
「もうあたしなんかうんざりって思ってる?」
そんな志乃ちゃんにうんざりしながら、瀧川くんは「そんなことないよ」と言う。志乃ちゃんは、自分が嘘をついてきたからこそ、人の嘘にも敏感だ。だから瀧川くんのことを「あんなやつ」と言うのだろう。
第3巻,P143
一方でマミリンは、不器用ながらもまっすぐな人だ。生徒会に入るまで友達がいなかったのはマミリンも一緒だが、人に好かれなくても常に自分らしくあろうとする。
中学生時代、いじめっ子に頭から牛乳をかけられた志乃ちゃんを、
「泣いてたってしょうがないでしょ? しっかりしなさいよ!」
と叱りながら、タオルで拭いてあげたマミリン。
「やられっぱなしでメソメソして陰でウジウジ口言って あんたその前に自分の欠点直す努力したら」
と説教しつつ、体操服を貸してあげたマミリン。
そんなマミリンが瀧川くんのことを好きだと知って、中学生だった志乃ちゃんはバレンタインの日、マミリンのチョコレートをこっそり捨てた。「かなわないと思ったから」だ。
三年経ってから、志乃ちゃんはようやくそのことをマミリンに打ち明けた。
「麻宮先輩はあたしに… こんなあたしに… 本音で接してくれる唯一の人だったから… 尊敬してたから… かなわないと思ったから…」
第3巻,P155
本音で接してくれる人。
志乃ちゃんに欠けていた存在、そして志乃ちゃんが本当に大事にするべきだったのは、実はマミリンのような人だったのだろう。
それがわかっているから、志乃ちゃんはずっと恐れていた。
瀧川くんがマミリンを好きになってしまうかもしれないという予感。それ以上に、自分がそんな尊い存在を踏み躙ってしまった事実に。
失恋の代わりに得たものは
第3巻,P156
最終的に、志乃ちゃんは瀧川くんと別れることになった。そのとき瀧川くんは、彼女にこんなことを言う。
「ごめん! もう志乃が泣いてても どうしてやることも出来ないんだ」
「みんなが心配して迎えに来てるよ お前がいちばん欲しがってた『友達』大切にしろよ」
泣きながら駆けていく志乃ちゃんを、同じ生徒会の「友達」が追う。
話を聞いてくれる友達、何も言わずそばにいてくれる友達、「ずっと味方だよ」と言ってくれる友達が。
志乃ちゃんは恋人を失ったが、実はその過程で友達を手に入れていた。
第3巻,P365
生徒会に入ったきっかけは恋人と一緒にいたいというものだったが、生徒会長になった彼女は、一生懸命、自分の役割を果たそうとしていたのだ。
表ではアイドルのようにチヤホヤされながらも、裏では生徒のみんなのために駆けずり回る。その中で彼女は、育てていたのだろう。自分でも嫌いだった、裏側の自分を。
女性としての繋がりだけではなく、人間としての繋がりを、彼女は生徒会で掴んでいた。
第4巻,P355
生徒会長・原田志乃の勝負どころである、学園祭。
「がんばれよ 期待してる」
かつての恋人にそう言われた志乃ちゃんは、嬉しそうに微笑んだ。
やっと対等になれた、そんな表情で。