ボクは少女マンガを読むことに決めた

第2回 ボクたちは対照的だけれど非対称な関係にある──『おねがいマイメロディ』

 マリーランドから人間界に脱走したクロミは、メロディ・キーとメロディ・ボウを使って人間の夢を悪夢に変え、黒い音符を100個集めることでダークパワーを手に入れようとする。ダークパワーは、人間の夢をすべて吸い取ってしまい、人間は夢を見られなくなってしまう。マイメロは、メロディ・タクトとメロディ・ボックスとメロディ・キャンディを与えられ、人間の夢を守り、強くすることで、ピンクの音符を100個集め、ドリームパワーでクロミに対抗すべく命じられる。

 マイメロは「可愛い」の天才で、クロミは「可愛い」の努力家。マイメロは他人に好かれようとしなくても、他人に好かれる。クロミは他人に好かれようとして、他人から嫌われる。マイメロとクロミという二者関係の造形と、それにしたがって動き出す物語があまりに見事なので、ボクは『おねがいマイメロディ』の全52話を一気見することができたのだが、この二者関係のキモは、〈対照的だけれど非対称〉だという点にあるように思われる。二人のキャラは正反対で対照的だけれど、クロミはマイメロのことをライバルだと思っている一方、マイメロはクロミのことをお友達だと思っているから、関係性としては非対称なのだ。

 なんでクロミがダークパワーを欲しがるかと言えば、マイメロを「完全にギャフンと言わせるため」。マイメロは無垢な顔で聞く。「そんな。いったい私が何をしたって言うの?」。クロミは待ってましたとばかりに、「クロミノート」からエピソードを引用する(第四話)。そこには、マイメロから受けた、視聴者の笑いを誘うがクロミにとっては忘れられない仕打ちの数々がメモされてあって、このノートの存在こそが二人の〈対照的だけれど非対称〉な関係を説明する鍵であるように思われる。

 その基本的なパターンが、マイメロの無垢がクロミを踏みつけるというものだ。そもそも「クロミノートには一ページ目がない」。二人が出会ったばかりの頃、クロミは可愛い新品のノートが嬉しくって、その一ページ目には「マイメロちゃんと仲良くなりたいな」と書いてしまうほど。そのとき、偶然ピアノちゃんがくしゃみをしたので、鼻を拭いてあげるためにマイメロはその一ページ目を破って、ティッシュ替わりに使ってしまう。「マイメロのノートと間違えちゃった。クロミちゃん、ごめんね」。そう謝るも、クロミのショックは相当のもの。以降そのノートは、マイメロの所業とそれへの恨みを書き連ねる「クロミノート」へと変わってしまったのだった(第42話)。

 こうした天然でクロミを傷つけるエピソードに事欠かないがゆえに、巷でマイメロは「サイコパス」「畜生うさぎ」などと言われている。昨今ではクロミちゃんブームという潮流もあり、人びとはむしろ悪役のクロミの方に健気さや可愛さを感じ、感情移入しているようなのだ。たしかにクロミは、他人と仲良くしたくて、他人からの優しさに飢えていて、けれどもあまりに不憫な目にたくさんあうので素直になれなくて……という普遍的な悩みを一身に引き受けているキャラクターである。それにひきかえマイメロは、他人の気持ちを考えたことがなく、マイメロらしくいるだけでみんなに愛され、そのような幸運にあることにも無自覚だ。それでは「畜生うさぎ」と呼ばれても仕方ないような気がしてくるが、ボロカスに言われれば言われるほど、マイメロのマイメロらしさが際立ってくるようで、ボクはマイメロのこともさらに好きになっていく。

 さらに次の事実も指摘しておかなくてはならないだろう。主人公らしからぬことに、マイメロというのは実は、徹底して何もしていない存在である。クロミの悪夢魔法は、いかにそれが悪の力だとしても、その人の夢を叶えてあげるという、他人のためになる働きかけの力である。けれどもマイメロは、近くにある生き物の形をしたものに魔法をかけ、「おねがい」と可愛く言って見せるだけなのであって、実際に働き、悪夢魔法を解除するのは「おねがい」された生き物たちの方だ。その結果起きるのも、悪夢魔法が振り払われて現実が元通りになるだけなのであって、やはりマイメロは何もしていないのと同じことになる。

 第37話では、マナが大切にしていたカエルが行方不明になり、魔法で助けてほしいと頼まれるのだが、マイメロはこう答える。「なんとかしてあげたいけど、無理。私の魔法はクロミちゃんの黒魔法を元に戻すだけなの」。「マナちゃんのお願いはクロミちゃんに頼むしかないかも」。悪役のクロミの方こそ人助けする能力を持っているのであって、主人公であるはずのマイメロは徹底して無能な存在ですらある。やっぱり、マイメロは悪い奴なのではないか。クロミこそがヒロインなのではないか。そうした声が上がるのもむべなるかな、と言わざるをえない。

 

 クロミに追い風が吹き、マイメロに向かい風が当たっている現代の空気に対してボクは、そこにみんなの抱えるクロミ的な苦しみの切実さを見る一方で、それはそれとして守られるべきマイメロ的無垢=無罪な在り方が試練にかけられているとも感じるのだった。このことを、発達障害の時代の問題として考えることができるかもしれない。兼本浩祐『普通という異常』は、発達障害が社会的な関心を集める時代に、その逆の普通の人びと、つまり「健常発達」の人びとの特殊性を解き明かそうとした本だ。そこで挙げられているエピソードは、まさにマイメロとクロミの関係を思い出させるものだった。小学生のAちゃんとBちゃんは、空色のランドセルが被った。それを強烈に意識したBちゃんは、Aちゃんの気を引こうといじわるしたり、優しくしたり、いろんなことを試すが、怪獣と昆虫に夢中なAちゃんには通用しない。Aちゃんを集団でいじめるようになっても、Aちゃんは負けずにやり返したり、Bちゃんのグループとは別に男の子の友達ができたりと、思う通りにはならなかった。

 兼本は、この健常発達的なコミュニケーションの仕方を「対人希求性」の高さに由来する「いじわるコミュニケーション(いじコミ)」と名付けている。健常発達者たちは、適度ないじわるをジャブのように小出しにすることで、お互いの距離をはかり、人間関係における立ち位置を定めていくのだそうだ。非健常なボクは、この本を読むまで、社会がこんなコミュニケーションで回っているのだと知る由もなかったので、心底驚愕したのだった。なぜそんな窮屈で回りくどいことをしなくてはならないのかと納得できなかったり、そもそもそんなコミュニケーションの掟を今まで知らなかったのだから、そりゃあ他人と上手くやれるはずもなかったよなと妙に納得したり。

 「いじコミ」が必要とされるのには、互いに関連した二つ理由がある。一つは、「対人希求性」という問題。健常発達の人びとは、対人関係における承認を希求しているのが特徴で、つまり「「普通」の人たちというのは、「相手が自分のことをどう考えているか」が、「自分がどうしたいか」よりも優先される人」だということになる。言い換えれば、彼らにとって価値あるものとは対人関係における承認だけなのであって、「極論すれば、いじコミがない世界などおそらくは生きるに値しない色あせた世界」なのだと彼らは考えている。そしてクロミはまさにその意味で健常発達的心性で生きているキャラクターである。

 対人希求性が人間関係のすべてを覆ってしまうことが原因で、スクールカーストやいじめが発生する。さらに、SNS環境がこの対人希求性の支配をさらに強化し続けているのが現代だろう。ボクはついつい性急に、健常発達者たちに対して、そのマジョリティ性、支配性、同質性を責めたくなる。けれども、クロミというキャラクターがかくも見事なのは、そこにとどまらず、そのようにしてしか生きられない健常発達者に固有の苦悩を内在的に描き出している存在だからだろう。クロミはすべての行動がとても純粋な対人希求性に由来している。マイメロちゃんとお友達になりたいな、マイメロをギャフンと言わせてやりたいな、「柊しゃま」(クロミを利用するイケメンの悪役)のお役に立ちたいな。クロミはいつも他人から承認を得るために頑張っているだけで、実は健気な存在なのだ。

 二つ目の理由。なぜ健常発達者のコミュニケーションは「親切」ではなくて「いじわる」なのか。親切といじわるの関係もまた、おそらく対照的だが非対称である。たしかに、親切は相手にプラスを働くことで、いじわるはマイナスを働くことだ。けれども、その行為の動機は実は異なっている。というのも、健常発達者のいじわるの場合、それは「自分がそうしたい」からそうしているのではなく、「他人からどう思われるか」ということに関する計算が動機になっている。クロミのいじわるもまさにそれであるが、いささかクロミはそれが下手なのだ。他方で、マイメロはみんなに親切を振りまいているキャラクターだが──お菓子を作ってあげて、紅茶を淹れてあげる──それは非健常的な親切なのだ。というのも、親切は時に他者へのマウンティング行為に受けとられたり、他者に貸しを押しつけることにもなるからこそ、健常発達者は親切に慎重で、いじわるを用いるのだが、マイメロのそれは「他人からどう思われるか」を一切顧みない、「自分がそうしたい」からする非健常的な親切なのだ。「畜生うさぎ」ぶりはそれが理由であって、だからクロミが最後に食べようと残していた大好物のらっきょうを食べてしまい、三時間かけたつけまつげを「お顔に何かついてるよ」と取ってしまう……。

 

 マイメロは可愛いだけの無能である。クロミは、マイメロの可愛さを知っているから、マイメロに承認してもらいたい。どんなに頑張っても承認してくれないから、それが反転して、マイメロを嫌いになる。そんな風に、マイメロをめぐってクロミは一喜一憂しているのに、マイメロの方は一切揺らぐことなく、いつもマイメロのままで、それなのにみんなに愛されているから、よりいっそうクロミのマイメロへの感情はかき乱される。マイメロはそれでもクロミのことを「お友達」だと思っているが、クロミが欲しいのはそんな無条件の肯定なんかじゃない。マイメロはどうせ誰のことでもお友達と思っているじゃないか。そうじゃなくて、特別なマイメロからの特別な承認が欲しいのだ。他とは違って、こういう理由があるから、クロミちゃんは特別なお友達なのよと、そう言ってほしい。けれども、マイメロには特別扱いなんて発想がない。マイメロ本人はみんなから特別扱いされているというのに。しかしマイメロが特別扱いされるのは、マイメロが誰のことも特別扱いをしない存在だからなのだ……。

 特別な承認を欲しがるクロミと、無条件の肯定しか与えないマイメロの二人は、かくして答えと終わりのない問題をボクたちに提起している。マイメロはクロミに特別な承認を与えるべきなのだろうか。それともクロミは無条件の肯定に満足することを覚えるべきなのだろうか。そして二人の〈対照的だけれど非対称〉な他者同士というのは、理解し合い、互いに変容し合うことがありえるのだろうか。

批評家:中村拓哉2026/10/23
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